*この記事は帰宅が間に合わなかったため、日付が変わって
から書いております。
その時、私はエアコンの修理で、東京にお呼ばれしていまして、
青果市場にいたのです。
市場の中には当然のことながら商品も積まれていますから、
あまり修理機材も置いておくわけにはいきません。
使い終わったものから撤収というわけで、建物の中と車の
間を行き来して機材を載せている最中でした。
建物から出た瞬間、すごい音がしまして、見てみたら梁が
大きく揺れて、上からぱらぱらと埃だか剥離した物が落ちて
くるレベル。
とにかく、半端ではない地震ではあることがわかりました。
呼んでくれた友達は室内機を弄っていて、建物内2階の
事務所内から出てきません。
私も建物が崩れそうな気はしなかったので、荷物の撤収を
続行。
とりあえず、完全に作業を終えるまで使う機材を残して、
搭載は完了。
作業の行方を見守っている間も何度か揺れましたし、横に
置かれているテレビからは一緒に流されていく車と船が
映されていました。
その映像からも、どれだけ地震が大きかったかが一目で
わかりました・・・
作業が終わり、友達は車で事務所へ、私は電車で家へ。
接続路線の多い池袋で降ろしてもらい、どれか、電車が動いて
いないか確認してみるも、当然のように動いていません。
ならば、とりあえず錦糸町まで移動できるバス路線のある
大塚へと歩いて移動。
合わせて、見えたコンビニ全店に立ち寄り、携帯の電池式
充電キットを探してみるも売り切れでなかなか見つからず。
大塚到着。
ここで充電キットは確保できたのですが、バスの停留所には
長蛇の列・・・
相変わらずJRの駅は閉鎖中で、バスを待つのも性に合わず、
JR再開、または地下鉄再開を期待し、巣鴨駅へ。
その間に懸案だった家との連絡、ネットの友達との連絡も取れ、
とりあえずは安心。
後は我が身が帰れるかどうかになってきました。
巣鴨に到着・・・のはずが、道を外れ、どうやら中央線方面に
向かっているよう。
相変わらず、道路は帰宅難民の列でごった返し中。
なので、多少道を間違えても寂しくはなかったですね。
結果的に、水道橋駅に到着。
ここでJR終日運休を知ることになりました。
これで、諦めて都内に残るか、私鉄に賭けるかということに。
さすがに都内から家まで歩いて帰るにはすでに池袋→
水道橋間を歩いた足では無理のように思えました。
目標を上野に変更。
道すがら、銀座線が動いていないかを確認しつつ、京成線の
運行に期待を掛けたわけ。
通り過ぎた秋葉原では喫茶店に陣取って休憩する人、充電
キットをここぞとばかり売るお店などを見ることができました。
こんな時に日本を訪れていた外国人の人も気の毒に・・・なんて
思えたのは多少余裕が出てきたからだったでしょうか。
京成上野到着。
駅の改札口手前の柱によっかかって、みっともなくもそのまま、
座り込んでしまいました。
もし、京成がだめなら動ける状態じゃなく。
しかし、程なく「京成は終日運休を決定しました」の声が。
同時に秋葉原のUDXの駐車場等が避難所として解放されたとの
アナウンスも。
しかし、もうたかだか2駅の距離でも移動したくない状態・・・
そんな中、銀座線が動き出したとの情報。
銀座線なら、上野広小路までの移動ですみますから、これは
少々頑張るかと移動を開始。
駅到着。
地震後、初めて動いている電車を見る。
早速乗車して、日本橋に移動し、東西線の回復待ち。
ここで2時間ほど足止めをされたのですが、横にいたおじさん
たちと大変なことになりましたねーなんて話をしていたので、
大した苦にはなりませんでした。
東西線がやっと動いたものの、西船橋まで到達せず、妙典で
止まる運転。
仕方がないので、家に車を出してくれるように頼みましたが、
いざ駅についてみても、道路が混雑して車が進まないよう。
仕方がないので再び、西船橋まで徒歩で移動を開始しました。
結局、西船橋をちょっと過ぎたあたりでうちの車とすれ違い、
その場で運転を代わり、そのまま家へ。
こういう時、裏道を知ってると何とかなりますね・・・
結局ついたのは2時半でした。
地震で何があったのかは起きてから確認しようと思います。
追記-
貴重な体験ではありましたが、出来ればしたくない経験でも
あります・・・
多くの人が亡くなるような災害の余波ですから・・・
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